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金剛山で開かれた「南北海外青年学生統一大会」

体験してはじめてわかることがある。人間の豊かな想像力が今の世界に住む私達にとって最も必要なのだが、しかし幾ら豊かな想像力を以ってしてもなかなか手が届かないものが一度の体験を通じて獲得できる時がある。そのような体験はその後の様々な場面において道標となり得る。

10月13日〜14日、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の金剛山地域において「6・15共同宣言貫徹と民族の未来のための南北海外青年学生統一大会」が開かれた。そこには、南側参加者約250名、北側参加者約300名、海外同胞の参加者約60名が一堂に会する、南北の青年学生交流において史上最大規模となる民間統一行事であった。行事名にある「6・15」が指す2000年6月史上初の南北朝鮮首脳会談以降、南北間では政治・経済・社会の各領域での交流が驚くほどの進展を見せた。それは政府次元だけではなく民間次元でも同様で、2001年8月には平壌で、今年8月にはソウルで「民族統一大祝典」が開かれ、各々南側、北側から100名単位の代表団が相手の地を訪れた。そうした民間交流の中で、青年学生達も、南北が直接出会い統一に向けた願いをともにできる共同行事を開催しようという思いを強くし、南側では昨年6月に「民族共同行事青年学生推進委員会」が発足し、北側では金日成社会主義青年同盟等数団体が担い手となり、南北間の実務折衝を何度も経て、遂に最初の共同行事が開催されたのである。

しかも今回の行事は「南北海外」とあるように海外同胞の存在も明確に位置付けられた。韓青連からは4名が参加し、在日同胞計6名が南側を経由して参加した。また北側を経由して在日同胞が41名、在中同胞が9名参加した。

金剛山地域12日早朝。南側参加者はソウル・宗廟公園に集合し、バスで江原道・束草港に向かった。この束草港という港は、現在韓国の現代峨山が行っている金剛山観光の出発港でもある。

私にとっては初めての訪北であり、さらには船での出国も初であった。しかし今回は普通の「出入国」とは違う。なぜなら私たちが向かうのは分断された北であり、「外国」ではないからだ。したがって韓国人たちが手続の際に差し出すのはパスポートではなく住民登録証であった。私達在日同胞は住民登録番号もなく、今回の訪北申請登録がパスポート番号だったため、パスポートを提示した。

また今回の行事には、韓国側で希望した人全員が参加できたわけではない。韓国では北朝鮮を訪問するには統一部に申請して許可を得る必要があるが、今回参加申請をした中で33名が不許可となった。その現実はこれまで韓国で何度も繰り返されていることであり、南北分断の歴史が大きな影を落とす代表的な例の一つであろう。

5時間の船旅を終え私たちは北側の長箭港に到着した。この日は大会の前日とあって、入国手続後韓国側の参加者だけで現代観光社が出資運営している温井閣という観光地用のセンターを訪れ特産品などを見た後出国手続をして船に戻った。

開催会場のステージ13日快晴。朝に再び入国し、昨日訪れた温井閣に到着した。統一大会の会場は、その隣にある金正淑休憩所の運動場。開幕式への入場を控えて南側参加者が整列する向こうで既に北側参加者たちが並んで待っているのが見える。互いの姿が目に入った途端高揚感が辺りを包み、全員が興奮しそわそわする。手を振る者、声をかける者、そして誰かが歌い始めると自然と全体合唱へと変わっていた。

とうとう南側参加者が会場に入場していく。両側に並ぶ北側参加者たちは大きな拍手と笑顔で迎える。皆が「パンガプスムニダ(お会いできて嬉しいです)」と挨拶を交わす。北側参加者たちは、一人ずつ列から離れ、南側参加者の横に並び、時には手を取り、並べられた椅子に思い思いに席を取っていく。

開幕式が始まり南北海外の青年学生代表や後援者団からの挨拶があった後、北側の少年少女の文化公演が行われた。終了後弁当(しかも瓶ビール一本付き!)が配られ、運動場近くの小川が流れる野原で南北が一緒になって昼食をとった。初めて肩を崩して自由に語り合う時間である。自己紹介をしているところがあり、早速歌が始まるグループや歌に合わせて踊る学生たち、数十人で肩を組んで輪になり歌う集団もあちこちに見られた。

体育娯楽競技の選抜サッカー試合午後からは「体育娯楽競技」、つまり運動会である。10月にしては日差しが強く、結局軽く日焼けするほどの暖かさの中で、数種類の競技が行われた。最初の南北海外混合の選抜チームによるサッカーの他は、障害物リレー競走や3キロの中距離走などで自由エントリー制で出場する。ここで最も印象に残ったのが北側の気配りの細やかさ、用意周到さ。至れり尽くせりの一言に尽きる。競技間の空き時間は数種類の舞踊が披露されるのは序の口で、何と言ってもすごいのは二人の「応援団長」。この運動会では南北海外が入り混じって「統一先鋒」と「統一青春」という二つのチームに分かれたのだが、人々を惹き込み自チームの応援に熱中させるあの魅力。さながら彼らは一級のコメディアンであり一級の指揮者だ。

夜には北側主催の晩餐会が金剛山ホテルで行われた。各テーブルに南側、北側、海外の参加者が座り、北朝鮮の料理とお酒を楽しみながら、約2時間参加者たちは思い思いに語らった。私は隣に座った平壌音楽舞踊大学の先生と話をした。私にとってこの時が初めて北朝鮮に住む人との長時間の会話であったが、正直身構えている自分がいたし、予想していたがそういう自分がやはり嫌だった。しかし重ねる対話はそんなレベルをいとも簡単に越えてしまう。家族のことから始まり、今の仕事・学業について、今回私が来た理由や感想などについて話をした。そして相手が日朝首脳会談の評価について聞いてきたのを皮切りに、話題は政治分野に移り、日本の過去清算の課題、米国と日本と韓国の関係、韓国大統領選挙の展望などについて話をした。ふと横に目をやると、私と同テーブルに座った南側参加者が隣の北側の学生にしきりにお酒を勧め、学生が少し引きながらもうまく調子を合わせて飲んでいた。どこも同じだ。

祝賀公演(14日)翌日はさらなる快晴で暑かった。前日と同じ金正淑休憩所で、南北海外からの文化公演を披露する祝賀公演が行われた。海外代表として朝鮮大学校の学生たちが合唱を数曲発表した。南側からはMCを務めた韓国では超有名なタレント等、今回この時間のために韓国から様々な公演人がやって来ていた。北側は、伝統音楽や舞踊よりも、バンドやコーラスといった現代音楽。そして最後には聴衆であった参加者たちも立ち上がり、大円団になっての合唱。そのまま人が連なって構成された『統一列車「統一列車」』が「統一」「統一」という汽笛を鳴らしながら何両も駆け巡り、すれ違う列車と手を叩き合わせていた。その光景をカメラに記録するばかりで参加できなかったのがかなり心残りである。その後閉幕式が行われた。南・北・海外からこの2日間の統一行事を経て分かち合った統一に向けた思いが様々な言葉で語られた。海外同胞の代表の一人として韓青連からも共同代表が演説を行った。そしてアピール文を朗読・採択し閉幕式が締め括られた。

しかし行事はまだ終りではない。今度は南側が主催となる昼食会を温井閣で行ない、再び南北海外が入り混じって食事をした。この時私は金日成総合大学でコンピュータ技術を専攻する学生2人と席をともにした。科学重視の政策を掲げる北朝鮮では今の情報化時代を受けて学校教育でコンピュータ教育に力を入れており、学生は必ず自分で1つはプログラムを開発しなければならないのだそうだ。

九滝瀑布への登山道から見える清流そして午後は九滝瀑布(瀑布は滝のこと)を目指して共同登山。「金剛山も食後の見物」という諺は、来たことがない人の作ではなかろうか。私の第一印象は、まるでCGの世界。澄み切った大気の中で輪郭がくっきりと浮かび上がっている岩石の間を、浅瀬では透明、水量のあるところはエメラルドグリーンに見える水が流れ、それら全体を赤・黄・緑の木の葉が囲み飾りとなっている。しかし不幸なことに私が乗ったバスは最後に到着した組で、一休憩もせず登ったにも関わらず九龍瀑布まで到達できなかった。そこまでたどり着いた人は、それを見ないと金剛山に来たという気はしないというほどの絶景だったそうだが。・・

そして登山終了後別れの時が来た。写真撮影、別れの挨拶が方々でなされ、最後には大きな一つの円九滝瀑布への登山道沿いの紅葉と白岩となって今回何度も歌われた「ウリヌンハナ(私たちは一つ)」の歌の合唱。バスに乗り出国手続を行ない乗船後、私はすぐに甲板に出て北の地をずっと眺めていた。船が動き始めた時に「北を離れる」という感慨が湧き上がってきた。それは、次はいつ来られるかという悲壮感からではなく、「近いうちにまた来るだろう」という何故だか確信めいた予感であった。

今回の統一大会参加は、私たちに南北統一というものを当事者として間近に深く考える重要な機会となった。その点で今回のことは何物とも交換不可能な価値を持っていると感じた。実際南北の統一ということに対して、これ程いろんなことを感じ考えたのは私にとっては初めてであった。日本に帰ってそうした思いをきちんと整理しなければならないと、2日目班で行われた感想会で私は第一に話した。

文化公演(13日)今回の行事では「統一しよう」ということが誰からも叫ばれた。それに対して諸手を挙げて絶賛することを憚る私がいた。「統一」に対する意志一致の確認が重要であることは間違いないが、それが強調されればされる程、50年以上も分断が維持されてきた中での現実課題として、全く接してこなかった「他者たち」が互いを理解し共に生きるために必要な努力があまりにも多大に求められていることを痛感する自分がいた。

今回最も歌われた歌が「ウリヌンハナ」。その歌詞は、民族も歴史も文化も言語も一つ、私たちは同じなのだというものだ。班の感想会ではほとんどの人が「会ってみて私たちが同じであること確認した」と言っていた。しかし今回の出会いは、私たちに「同じである」ことだけを感じさせたわけではなかった。57年前に分断で引き裂かれた南北、そして海外の同胞たちが持つ共通点は確かに大きいだろうし、それを実際に確認する機会がほとんどない中でそうした思いを持つことは大切だと確信する。しかし一方で、私たちは違う環境に長く住んできたこと、そこから生活習慣や物の見方、考え方には違いがあることも当然見つめなければならないことも確信する。私たちが行っている日韓青年交流の『ユースフォーラム』に期待するのは、各々が持つ違いを実直に見つめ認め合い、その上で共同する中で豊かなものが生まれてくることである。それと同じことが南北海外の同胞においても言えるはずだ。北の青年たちと対話をする中で、「どこでも人は同じ」と共通点を確認しながら私が持っていた意味のない緊張感・警戒心が薄らぐ一方で、やはり私たちは違っていることも実感した。たとえば「将軍様」の話が出たときに、私も含めて南側参加者たちが口をつぐんでしまうことに見られる。腹を割った話ができるだけの素地がまだないことは明らかである。

13日野外昼食の時間そこで思う。私達海外同胞こそできることは何かという点だ。今回の準備に深く関わった韓国青年連合会(KYC)の人から聞いたところ、今回「海外」を加えることに南側で反対意見が結構あったそうだ。そうした意見の背景には今回は南北ということを最大限に強調したいという思いがあったようだ。韓国において在外同胞に対する関心は決して大きくはないが、しかし私たちが行動を共にしてきた韓国の青年たちが海外同胞を加えるべきと主張し「南北海外」となった事実を私たちは軽視してはならない。そしてボールは私たちに渡されてくる。私たちはどのような役割を果たすべきか?今回思い当たった一つが、「違うこと」に対して在日同胞が持ってきた視覚である。日本という異文化の中で長年暮らす中で、自己の存在を大切にしながら他者と共に生きる=「共生」するという経験を在日同胞は少なからずしてきたはずだ。その経験は南北の和解、そして開かれた統一コリアの実現において必ず価値を発揮する。

そして今回私が最も感銘を受けたことは、様々な困難や制約に当面しながらも対話と努力を重ねることで統一大会を実現させた青年たちの存在である。そしてそれは南北の青年たちという意味だけではない。韓国では統一運動において「南北対話」とともに「南南対話」ということが言われている。韓国では統一問題や北朝鮮に対して様々な考えや主張を持つ人たちがいる。しかし、南北の和解と統一という大課題に対して確実に前に進むために、違いを超えて連帯することを何よりも重視し、妥協や変更を迫られても挫けることなく歩んできた韓国の青年たちの思いと力は、今混沌とする状況にある在日コリアン社会の中で私たちが本当に見習うべきことであろう。

今回乗船した船を甲板から見上げてそれにしても今回の行事ではいろんな意味で「韓国的」なものを体験した。締め括りは、束草港についた後の実務者集団の打ち上げである。ここ数日準備で寝る時間もほとんどなかった人たちが大いに語らい、酒を飲み、歌を歌う。終了したのは午前3時、ソウルに着いたのが午後5時半。勿論その日は平日なので全員仕事である。それだけ南北統一大会が成就したことの意味が大きかったということか。ただソウルに到着した時の全員の顔からはさすがに覇気が感じられなかったことに、私は同じ人間であることを確認できてほっとした。


「KEY東京の歩み」に「南北海外青年学生統一大会」で撮影した写真をたくさん掲載しています。
 

 


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